悪魔のしるし主宰・危口統之氏が3月17日に肺がんで亡くなられました。42歳でした。昨年12月6日に肺腺がんを公表されたときはステージ4で、実家近くの倉敷中央病院に転院されていたご本人は、翌12月7日からnoteで「
3月20日に亡くなられた古賀かつゆき氏を偲ぶ「古賀かつゆきに集う会」が、朝陽会館(大阪・大阪天満宮)で7月12日に開催されました。普段は能舞台として使われているスペースを特別にお借りし、多数の参加者を収容するため、2時間区切りの3部構成という盛況ぶりでした。舞台監督の塚本修氏(CQ)が当日の模様をブログで伝えています。
1988年~2002年に大阪・堂島の大阪観光専門学校地下1階にあった小劇場「スペースゼロ」。同居する姉妹校の大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)音響芸術学科の講師たちが、週末と休暇中に実習室を劇場化したもので、その主宰が古賀かつゆき氏でした。
10月5日に急逝された演劇評論家・村井健氏は、而立書房の編集者、ロシア演劇界との交流で知られていますが、なによりもそのブレない姿勢、反骨の精神が印象的な演劇評論家でした。裏表がなく、ダメなものは徹底的にダメというところが、私は大好きでした。あまたいる演劇評論家の中で、この人の書くものなら信じられると思えた数少ない一人でした。
福岡市のベテランカンパニー、劇団クレイジーボーイズのこすぎきょうへい氏が58歳で亡くなられ、10月15日に葬儀が営まれたそうです。福岡市清川にあった小劇場シアターポケット(1990年開館、2006年閉館)のオーナー支配人でもありました。
6月21日に発表された訃報です。小劇場系の俳優が多数所属するプロダクション、豪勢堂の横井豪社長が、病気のため6月14日に急逝されました。まだ48歳の若さでした。