この記事は2016年7月に掲載されたものです。
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大阪・スペースゼロを主宰した古賀かつゆき氏を偲ぶ「古賀かつゆきに集う会」が盛況、この方がいなければ私は演劇制作に無縁だったかも知れない

カテゴリー: 備忘録 オン 2016年7月23日

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3月20日に亡くなられた古賀かつゆき氏を偲ぶ「古賀かつゆきに集う会」が、朝陽会館(大阪・大阪天満宮)で7月12日に開催されました。普段は能舞台として使われているスペースを特別にお借りし、多数の参加者を収容するため、2時間区切りの3部構成という盛況ぶりでした。舞台監督の塚本修氏(CQ)が当日の模様をブログで伝えています。

舞監@日誌 since 2005「『古賀かつゆきに集う会』7/12」

文中に登場する『アイドラーズ』とは、スペースゼロが毎年12月に行なっていた劇場プロデュース公演のうち、1991年と95年に上演された「歳忘れイベント」です。91年は古賀氏自ら演出し、95年は後藤ひろひと氏が構成・演出を務めました。この会がその3回目になったという意味です。

イベントスペース「音太小屋」(大阪・天六)を主宰する天満の哲(津島哲治)氏のFacebookには、盛況ぶりが伝わる写真があります。

私が制作をしていた遊気舎は、私が携わる以前に劇場の使い方で難があり、関西を代表する小劇場だった扇町ミュージアムスクエア(大阪・扇町)を貸してもらえなくなったことがあります。そのとき手を差し伸べてくださったのが、大阪観光専門学校(大阪・堂島)地下にあった大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)実習室を小劇場「スペースゼロ」として開放していた古賀氏でした。

そのスペースゼロで上演された遊気舎作品を観て、私は制作者になったわけですから、古賀氏がいなければ私は演劇制作に携わることもなく、結果的にこのfringeというサイトもなかったことになります。いま、あなたがfrngeというサイトを目にしているのは、遡れば古賀氏がいたからということになります。古賀かつゆきという人物がいたことを、ぜひ記憶していただきたいと思います。

関西小劇場界を支えた小屋主と言えば、故・中島陸郎氏が挙げられますが、それに比べて古賀氏の扱いが小さいのではないかと、私は感じてきました。古賀氏がいたからこそ実現したことも多く、中島氏と並ぶ存在だと私は思っています。

サカイヒロト氏(WI’RE主宰、元・遊気舎、元・クロムモリブデン)と私も同じ気持ちです。

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