この記事は2017年3月に掲載されたものです。
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悪魔のしるし主宰・危口統之氏が逝去――観客との関係性を真摯に考え続けた稀有なアーティストを失う
悪魔のしるし主宰・危口統之氏が3月17日に肺がんで亡くなられました。42歳でした。昨年12月6日に肺腺がんを公表されたときはステージ4で、実家近くの倉敷中央病院に転院されていたご本人は、翌12月7日からnoteで「
私は危口氏とは面識がなく、作品やネット上の発言を通じてしか存じ上げませんが、建築学科を卒業して舞台美術の面から演劇に関わり、舞台技術系のスタッフ中心によるカンパニーという、演劇界ではめずらしい立ち位置に注目していました。特に一連の「搬入プロジェクト」は、建築家やプロジェクト管理を専門とするスタッフならではの企画で、演劇の持つ祝祭性を新しいアプローチで実感させたパフォーマンスとして、高く評価しています。
演劇人が劇場外で行なうパフォーマンスには様々なものがありますが、その多くが舞台の延長だったり、劇場という枠組みを外しただけのものが多く、演劇になにが出来るのかを突き詰めて考え、演劇ファン以外を能動的に巻き込んでいく仕掛けを提示しているアーティストは少数派だと私は感じています(もし本当にそんなアーティストが多ければ、演劇はもっと身近な存在になっているでしょう)。「搬入プロジェクト」はそれを具現化した作品だと思っています。
ネット上での発言を読んでも、危口氏の発言は絶えず観客との関係性に触れていて、ここまで真摯に観客のことを考えた演劇人が、過去にいただろうかと思えるほどです。演劇人というのは、どうしてもエモーショナルな感情が優先し、客観的な視点を失いがちな面があると私は思うのですが、そこをきちんと〈設計〉したのが危口氏の功績だと感じます。
演劇も建築も、なにもないところから作品を生み出しますが、建築は最初に緻密な設計図とプロジェクト管理が存在し、施主や周辺住民との関係性で進んでいきます。演劇が演劇人の独り善がりにならないためにも、危口氏にはもっと先頭を走り続けてほしかったと思います。「疒日記」を読んでいると、どうしてこんなに冷静な分析が出来るのだろうと驚嘆せずにはいられない文章が綴られ、失われた才能の大きさを思うばかりです。
個人的には、ダムタイプの古橋悌二氏が亡くなったときと近い感情を覚えています。ダムタイプがその後も活動を継続しているように、危口氏の遺志を継ぐ人々が活動を続けていってほしいと願っています。
危口氏が最期に原案を担当した『蟹と歩く』は、倉敷市美術館で3月25日~26日に予定どおり上演されます。がんを意味するタイトルが胸に迫ります。すでに満席ですが、YouTubeでの配信が検討されています。