にしすがも創造舎のフィナーレを飾る連続シンポジウム第1回「仕掛け人たちが語りあう、にしすがも創造舎のすべて」、体育館を劇場に変えた人々が集う

in 備忘録 on 2016年6月14日

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にしすがも創造舎のフィナーレ

廃校を稽古場施設に転用し、東京の代表的アーツセンターとして小劇場演劇を支援してきた「にしすがも創造舎」が、今年で終了となります。校舎の出入りは7月まで、体育館は12月が最後のプログラムです。

フィナーレを飾るプログラムが発表され、連続シンポジウム「創造拠点の12年」が、7月・9月・10月に開催されることになりました。7月2日の第1回「仕掛け人たちが語りあう、にしすがも創造舎のすべて」には、次の4名が登壇します。

まず、にしすがも創造舎を運営する二つのNPO法人の代表、アートネットワーク・ジャパン(ANJ)の蓮池奈緒子理事長、芸術家と子どもたちの堤康彦代表。オープン時からレジデントアーティスト、アソシエイトアーティストを務め、体育館公演の道筋をつけた倉迫康史氏(Theatre Ort主宰)。そして、日本政策投資銀行地域企画部課長の遠藤健氏。

なぜ銀行マンが参加するのか、それは体育館に深い関係があるからです。にしすがも創造舎は、豊島区から施設の無償貸与を受けていますが、当初は1年単位の契約更新で、2010年までの暫定利用とされていました。このため、体育館も商業演劇の稽古場に貸し出すほかは、消防法・興行場法の範囲内で公演を行なっていました。この環境を気に入った故・蜷川幸雄氏がロングランを希望し、ANJは投資してでも劇場化するかの選択に迫られたのです。

ロングラン自体は実現しませんでしたが、ANJは4,500万円をかけて体育館の改修に踏み切りました。前理事長の市村作知雄氏が、この金額で劇場を持てるのなら安いと判断したそうですが、それに1,500万円ずつ融資したのが日本政策投資銀行と地元の巣鴨信用金庫でした。政府系の日本政策投資銀行はNPO法人への融資は初めてで、自治体の地域再生計画に基づく事業でも東京初でした。

当時、豊島区文化デザイン課長として両者を取り持った東澤昭氏(現・としま未来文化財団事務局長で)は、こう語っています。

日本政策投資銀行の担当の方は、本当に融資が可能かどうかというリサーチのために、東京中の劇場や演劇の稽古場の状況をヒアリングして調べまくったようです。今では、演劇に一番詳しい金融マンだと自負するくらい、あちこちいろんなところをリサーチして、融資の承諾を得るまでこちらの立場で相当動いてくださいました。

JIAMウェブサイト/メールマガジン「インタビュー:豊島区保健福祉部 部長 東澤昭さん(上)」

この融資がきっかけで、にしすがも創造舎が現在まで継続され、東京国際芸術祭からフェスティバル/トーキョーの主会場になったことを思うと、遠藤氏もバンカー冥利に尽きるのではないでしょうか。

稽古場施設の閉館は、つくり手にとっては劇場の閉館以上に感慨深いものかも知れません。過ごした時間は、劇場よりも稽古場施設のほうが長いわけですから。にしすがも創造舎で稽古した演劇人は、ぜひ注目したいクロージングイベントです。にしすがも創造舎という画期的な施設があったことを、語り継いでほしいと思います。

(参考)
fringe「東京のアーツセンターはここから始まった。夢の施設『にしすがも創造舎』の軌跡(1)理想の廃校を求めた創設前夜~稽古場利用開始」

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