この記事は2016年3月に掲載されたものです。
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関西小劇場界の梁山泊だった小劇場「スペースゼロ」の元主宰・古賀かつゆき氏が逝去

カテゴリー: 備忘録 オン 2016年3月24日

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1988年~2002年に大阪・堂島の大阪観光専門学校地下1階にあった小劇場「スペースゼロ」。同居する姉妹校の大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)音響芸術学科の講師たちが、週末と休暇中に実習室を劇場化したもので、その主宰が古賀かつゆき氏でした。

その古賀氏が3月20日に肺がんで亡くなられました。71歳あるいはその手前かと思います。家族葬で見送られ、後日お別れの会が予定されているそうです。専門学校退職後は、奈良県橿原市でカステラ店「六斎堂」を営まれる傍ら、朗読劇の演出・指導などを続けられてきました。ご冥福をお祈りいたします。

スペースゼロは教室ですから、機材も貧弱で制約も多いわけですが、故・大竹野正典氏が主宰した犬の事ム所、現在は東京に本拠地を移したクロムモリブデン、後藤ひろひと氏が座長を務めた遊気舎などは、ここから巣立ったと言っても過言ではないでしょう。一つ下の世代では、劇作家・樋口ミユ氏と演出家・池田祐佳理氏による劇団Ugly ducklingが本拠地にしていました。

独自の「スペースゼロ演劇賞」と「ゼロプロデュース」公演を設けたほか、関係者にとっては終演後に講師控室で行なわれる批評の場が独特の雰囲気でした。演劇賞の審査員が毎週ここに通い、初日を観てはビール片手に感想戦を繰り広げるのです。当時、扇町ミュージアムスクエアは関西小劇場界のメッカと言われたものですが、スペースゼロはまさに関西小劇場界の梁山泊でした。

高校演劇コンクールの在り方にも疑問を呈し、座組や上演時間を自由にした「HIGHSCHOOL PLAY FESTIVAL」を開催。年々参加作品が増え、最盛期には大阪市内4劇場まで広がり、その主会場となりました。

これらの上演記録は、「スペースゼロ全記録」として02年にまとめられ、その内容は古賀氏の個人サイトで公開されています。冒頭に書かれている「関西小劇場界の第1級の資料」とは、発表時のfringe記事によるものです。

ちなみに、「全労済ホール スペース・ゼロ」(東京・新宿)とは無関係です。大阪にあった「スペースゼロ」は中黒が入りません。東京の「スペース・ゼロ」は中黒が入ります。表記を間違えている方が結構いますので、記しておきます。

クロムモリブデン出身のナカタアカネ氏(トランスパンダ主宰)のツイートです。

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