アーティストは経営についても学ぶことが必要と説く『ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』、演劇の実演家にも響く内容

カテゴリー: 備忘録 オン 2023年1月24日

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ウィーン・フィルの哲学: 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか (NHK出版新書 691)

話題の新刊、渋谷ゆう子著『ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』(NHK出版)を読みました。世界最高峰と言われるウィーン・フィルハーモニー交響楽団を、芸術面ではなく経営面から語ったものです。筆者はクラシック音楽の音源制作やコンサート企画をする音楽プロデューサーで、密着取材で実態を端的に伝えています。

ウィーン・フィルハーモニー交響楽団は、驚くべきことに奏者自身がすべてのマネジメントを行なっているとのこと。現在147名の奏者(個人事業主)からなる非営利組織の「協会」で、総会が最高議決機関。総会で選ばれた楽団長と事務局長を含む、12名の運営委員で運営されています。つまり、奏者自身が事務局長なのです。提携する弁護士や会計士、補助的な事務作業をするスタッフが数名いますが、それ以外は運営委員がすべてマネジメントしているそうです。他の交響楽団のように芸術監督や常任指揮者も置きません。指揮者や演目の選定、演奏者の報酬や決算の承認も議論で決まるそうです。

ウィーン・フィルハーモニー交響楽団はフルタイムの活動ではなく、団員全員がウィーン国立歌劇場の管弦楽団員であり、そこでのオペラやバレエ公演がないときに活動していることも、こうしたマネジメントを可能にしているのだと思いますが、定期演奏会以外に海外ツアーを企画し、CDを各レーベルから発売し、学校でアウトリーチ活動をし、後継者を育てるアカデミーを運営しているのです。専門のマネージャーがいないのが信じられません。

私自身は、組織のマネジメントには専門知識を持った人材が不可欠という考えですが、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団の実例に接すると、アーティスト自身に能力があれば、こうした活動形態もあるのだなと思いました。演劇界で例えると、大きなカンパニーに所属して一定の収入を得ている俳優が、公演のない時期にプロデュース公演を続け、その制作業務を全部自分たちでしているようなものです。もちろんそういった例はありますが、規模が大きくなっても継続していけるでしょうか。

これまで、アーティストを音楽に専念させるのがマネジメントの役割と思われてきたことで、逆にていねいに説明する時間を省いたり、搾取する意図がなくてもボタンの掛け違いになることが頻繁にあったと筆者は振り返り、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団はそこが違うとしています。

アーティスト自らが、自分の音楽に責任を持ち、生きる方向を見極め、社会の変化を理解しようとし、自らのキャリア形成のためにどの会社とどのような契約をするか、誰との信頼関係が必要かなど、その全てに意志と責任を持って演奏活動を行なうことこそが、今の演奏家に求められているのではないか。アーティストは音楽だけでなく、経営についても学ぶことが必要というのは、困難ではあるが決して不可能なことではない。すでにウィーン・フィルが実現していることだからだ。

渋谷ゆう子著『ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』p.203(NHK出版、2023年)

本書ではウィーン・フィルハーモニー交響楽団の成り立ち、オーストリアという戦争に翻弄された国家でどのように振る舞ってきたか、コロナ禍やウクライナ侵攻にどう向き合っているかも赤裸々に描かれています。奏者にウィーン国立歌劇場からの収入があることは大きいと思いますが、公的支援を一切受け取らず、奏者だけの運営で組織を継承していく姿は、ジャンルは違えど大きな刺激を受けました。ウィーン・フィルハーモニー交響楽団は特別な存在ですが、その姿勢から学べることは少なくないと思います。演劇の実演家にも響く内容ではないでしょうか。

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