この記事は2002年11月に掲載されたものです。
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劇団四季と浅利慶太

カテゴリー: 再録 オン 2002年11月28日

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文春新書11月の新刊で『劇団四季と浅利慶太』が出ました。演劇評論家ではない政治分析の専門家が書いた異色の一冊です。本書の冒頭にも書かれていますが、四季を本格的に論じた書籍というものは、これまでほとんどありませんでした。四季を語るということは、作品だけでなくその経営やマーケティング、芸術と興行の両面を見つめなければなりません。舞台の上しか見ていない多くの演劇評論家に四季の全体像がつかめないのは、当然かも知れません。

四季は2003年に創立50周年を迎え、秋には念願のストレートプレイ用小劇場(キャパ500名)も都内に新設します。演劇界最多の興行収入と会員組織を誇る四季と小劇場演劇とでは次元が違うと思われるでしょうが、しかし本書の端々には、私たちに刺激を与える言葉とヒントがあふれています。fringeがカンパニーにおける長期計画の重要性を力説しているように、四季も様々な段階を経て現在の姿があります。本書を通読して、カンパニーが成長するというのは具体的にどういうことなのかを実感していただきたいと思います。

なぜ四季が他の新劇のようにテレビ出演に傾倒しなかったのか、日本最大の手売り劇団からチケットぴあへの脱却、劇場建設へのこだわりの理由など、有名な逸話から意外な新事実まで、2年間の精力的取材を凝縮した内容になっています。25点の図表(1点が数ページに及ぶものも)入りなのも、興行面を抜きに語れない四季ならではです。新書なのですから、欲を言えばデータ中心の堅い構成より、現場の血が通ったエピソードを多めに盛り込んでほしかった気もしますが、制作者としてまずは目を通すべきものでしょう。

四季の理念や戦略については、私も多少の知識はあるつもりでしたが、本書で知った劇場での見えにくい席に対する浅利氏の考え方は興味深いものでした。浅利氏は「客席の価格政策として中にはそういう席があった方がいい」と語っています。一見乱暴なようですが、その代わりそうした席は学生向けに料金を下げ、繰り返し観られるようにするそうです。そのため作品ごとの見え方を把握しておかねばならず(装置や立ち位置に影響されるため)、実際に四季は演目ごとに席種の配置が変わります。均一料金で見えない席をつくってしまっている小劇場には、耳の痛い話ではないでしょうか。

演劇界には四季のことを快く思っていない人も少なからず存在するでしょう。しかし、本書で要旨を紹介されている浅利氏の次の言葉はまさに真理であり、四季が多数の優れた制作者を輩出していることも当然だと思うのです。

演劇の問題及び法則は次の如きものである。他のあらゆる考察に先立って、演劇は先ず一つの事業、繁昌する一つの商業的な企業であらねばならぬ。しかるのちに初めて演劇は芸術の領域に自己の地位を確保することを許容される。当りのない劇芸術はない。観客が耳を傾け、生命を与えないかぎり、価値ある脚本は存在し得ないのだ。(芸術性と商業性、現実的なものと精神的なものという)二つの目標を同時に結びつけなければならぬ怖るべきニ者選一、それは演劇の地位をあらゆる追従とあらゆる妥協、時としては流行との妥協の面の上に置くのである。

『ジーザス・クライスト=スーパースター』公演のときは、営業部に俳優とスタッフが同行して、都内の全キリスト協会を訪問したそうです。俳優の手売りはなくなりましたが、営業部の地道な営業努力はいまも続いているのです。

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